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日産経営危機の“元凶”元労組リーダー死去「社内にスパイがいて悪口はタブー」!!

日産自動車の労働組合リーダーとして大きな影響力を持ち、小説のモデルにもなった塩路一郎が2月1日、食道がんで死去した。86歳だった。葬儀は近親者で行った。
日産自動車には、かつて3人の「天皇」がいた。日本興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)出身の川又克二社長(86年、81歳で死去)、生え抜きの石原俊社長(03年、91歳で死去)、自動車労連(現・日産労連)の塩路一郎会長(13年、86歳で死去)である。
70年代後半からの日産は「三頭政治」と呼ばれた。川又と蜜月関係を結んだ塩路が、石原と激しく対立した。日産の凋落を招き、仏ルノーに身売りしなければならなくなった最大の原因は、3人の天皇による社内抗争にあった。
塩路は東京・神田の生まれ。父親は叔父と小さな牛乳屋を営んでいたが、終戦後まもなく死去。塩路は幼い弟妹を養うために、さまざまな職業に就いた。日本油脂の倉庫勤務の傍ら、明治大学法学部の夜間部に進んだ。1953年に卒業、日産自動車に入社した。成績優秀な官学出の学生を採用してきた日産が、夜間部卒の塩路を採るのは異例なことだ。
旧日産コンツェルングループの日本油脂が、反組合の闘士だった彼を「ストライキ破りにぴったりな若者」と推薦したから入社できたのだ。当時、日産は労働争議を繰り返していた。47年に興銀から経理担当常務として送り込まれていた川又克二は第2組合を作って労働争議を終了させようと考えた。川又は面接した塩路に強い印象を受け、「骨のあるやつだ。ああいう男こそ必要なんだ」と人事部長に採用を進言した。
塩路は喧嘩屋といわれた本領を発揮する。横浜工場の経理課に配属された彼は、すぐに反組合派として頭角を現した。入社間もない、53年夏から4カ月間に及ぶ労働争議が起きた。第1組合の切り崩しを進め、労使協調路線を掲げる第2組合を結成すると、新入社員の塩路は会計部長の要職に就いた。
労働争議を終息させた川又は57年11月、日産の社長に就任。58年に日産労組書記長に就いた塩路は第1組合潰しの論功行賞としてハーバード大学ビジネス・スクールへ留学(59~60年)させてもらった。帰国後の61年日産労組組合長、62年に日産グループの労組でつくる自動車労連の会長に就任。72年に自動車メーカーの主要労組を統合した自動車総連を結成し、86年まで会長を務めた。
川又克二は73年に岩越忠恕にバトンタッチするまで16年間、日産のトップとして君臨した。岩越社長の時代の4年間も、川又は会長として院政を敷いた。
塩路は権力志向の強い男だった。労使一体化路線を進め、人事権を握った。人事・労務部門は塩路派の巣窟といわれた。日産社内では、労組(=塩路)の同意がなければ人事や経営方針が決められないほどの影響力を行使し、「塩路天皇」と呼ばれた。
高杉良は小説『労働貴族』(講談社文庫)で、「塩路会長の悪口をいうことは、絶対にタブーで、社員同士で飲んでいるときでも、危なくて話せなかった。塩路批判でもしようものなら、お庭番みたいなスパイがいて、確実に塩路会長の耳に入る仕組みだった。現実に、左遷されたり、飛ばされた者の事例を知っている」と1人の社員に語らせている。
塩路は役員人事にも介入した。塩路が首を縦に振らなければ、役員になれなかった。役員人事の季節になると、ご機嫌伺いに塩路のもとを訪れる候補者が後を絶たなかった。
川又=塩路の蜜月は20年間続いた。77年6月、社長に就任した石原俊は「労使協調路線の名を借りた労組(=塩路)の経営介入がある限り、日産に21世紀の繁栄はない」と考え、労使関係の是正に乗り出した。
81年の英国工場の建設計画で、石原vs塩路の対立が火を噴いた。塩路の反対を無視して進められたため、塩路が率いる自動車労連は記者会見して英国進出に反対を表明。塩路は「強行したら生産ラインを止める」と迫った。会長の川又が塩路を支持し、社長の石原を批判したため、社内は大混乱に陥った。83年、川又を相談役に退け、経営の主導権を握った石原は、塩路に対して本格的な攻撃を開始した。
最大の山場は、84年1月20日発売の写真週刊誌「フォーカス」(新潮社)の記事だった。見出しは「日産労組『塩路天皇』の道楽-英国進出を脅かす『ヨットの女』」。若い美女と自家用のヨットに乗った塩路の大きな写真が躍っていた。
4000万円はするといわれた、美しいヨットを所有していただけではない。品川には7LDKの高級マンションを持ち、日産プレジデントとフェアレディ240Zを乗り回していた。「(労組の指導者が)銀座で飲み、ヨットで遊んで何が悪い」と公言してはばからない人物と「フォーカス」誌上では紹介されていた。
日産社内で「あのフォーカス事件」として語り継がれる写真爆弾で、石原は塩路にトドメを刺した。長年に及ぶ組合内の独裁や、「労働貴族」と呼ばれる豪華な生活に不満を募らせていた工場勤務の組合員から厳しい批判を浴び、事実上、解任される形で、86年2月に自動車労連と自動車総連の会長を辞任した。
石原は塩路の追い落としに成功した。後年、石原は「社長任期中の大半は、塩路氏との対決に時間を費やした」と語った。
塩路は12年8月、回顧録『日産自動車の盛衰 自動車労連会長の証言』(緑風出版)を出版した。「日産のマスコミへの出稿費用(=広告宣伝費のこと)は分不相応に年700億円を超え、トヨタを大きく上回っていた。塩路を潰すためなら金に糸目を付けないという石原氏の姿勢(がそうさせた)」と綴っている。
塩路一郎が経営に不当に介入するまでに権力を肥大化させたのには、塩路に取り入ってライバルを蹴落とそうとした経営側の人間にも責任の一端がある。日産の経営は迷走を続け、99年にフランスのルノーの傘下に入った。日産自動車没落のA級戦犯。それは川又克二、石原俊、塩路一郎という名前の3人の天皇だった。(敬称略)
(biz-journal.jp)
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